あたまのまえあたり

ブログというより備忘録

失われてしまった才能

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最近大物アーティストが次々と亡くなっていることに関しての独り言。

長く好きであった自分にとってのスターが死ぬという事は自分の一部も死ぬという事であり、また、自分自身の死も近付いているという事なのだと実感する。 自分の好きなアーティストが亡くなるのは近親者が亡くなるのとはまた違った感覚である。次はどんな曲を作って発表するのだろうという期待感の喪失や、自分の人生にフィットし、ゴキゲンな音楽を生み出してくれた存在がこの世から消えてしまった虚無感等が綯い交ぜになって複雑化する。 スターの訃報をきいても一般リスナーは本人の亡骸を見て別れられるわけではないから暫く実感もわきにくい。
 

死後に未発表曲を集めた新譜等が出されても、存命時の作品リリースと同じように楽しみにすることはもう無くなるのだろう。今までもスターが亡くなった後は少なくとも私はそうだった。新譜が自分の好みではなかったとしても、それについてこれは好きだけどこの曲はちょっと好みじゃないなあ、等と、アーティスト存命時にあれこれ考えたり言えるのは幸せな事なのかもしれない。

バンドやアーティストが活動停止や解散等しても、アーティスト個人やバンドメンバーが健やかに生きているなら新しく創作されたものが再度聴ける望みはまだあるし、大人の事情での再結成・再始動だとしても昔好きだったバンドやアーティストの曲がまた聴けるのはやはりうれしいものなのである。
亡くなってしまったら、心の中に生き続けはするがそのアーティスト個人の創作活動の全てはそこで終わるのだから。